■ 冬に居て
備忘録 震災の年に
= 年末の記憶 =
震災の年 大地が動いた年 忘れられない年 3月9日 地震があった。 遠く離れた震源地なのに、当地も揺れた。 ちょうど避難訓練指定日。同席していた仕事のお取引先と避難。 規定に従い、1F駐車場に降りた。 「避難訓練に実際に地震が起こるとは・・・」 3月11日 電話中に地震。 大きく長いゆれ。ただ事ではないことだけはわかる。その間に停電。 一昨日の訓練どおりに駐車場まで降り、待機。 規定に従い、熱処理施設や火を使う環境をチェックしている声。 これも訓練どおり。 待つ間に形態電話のワンセグで地震の報を知った。 津波の報。 目を疑う映像。 実は、その時に避難している場所は海からも徒歩圏内で、 また、遡上する川も近いという危険場所であることを誰も話さない。 繰り返す余震 停電で信号も停止している中、自動車で帰る。 明かりが落ちた後の厳しさはわかっているので 日のあるうちに、懐中電灯、ランタン、ロウソク等々準備。 近所の店は全部やっていない。 またオール電化というのも普段の備えは必須と知る。 友人ご家族も泊まりに。 3月12・13日 早朝に通電。あまりの内容に呆然とする。 自分自身は燃料の備蓄の確認と、明かりに電池等の所要量の確認 水が冷蔵庫に300リットル程度あったのをすべてタンク洗浄と入れ替え。 そんなことはしたが、何をして良いのかわからない。 (電池などや灯油などはこれまでもそれなりの備えはあったので) (当面の所要量を考え最低限の補充をした) 3月14日~ 仕事場での業務としてはサプライチェーンの確認 原発の直近に取引先があることが発覚 どうみても、日本からさらに仕事を減少させる事態としか思えない 余計憂鬱になる 仕事はしっかりせにゃ。末端作業員ではあるが。 3月15日 深夜、震度6強の地震発生。 揺れだしてから地震注意の「エリアメール」を受信。 ゆれは比較的短い時間だった、 近所の2軒の安全確認後、しばらく家から出て隣の店舗の駐車場へ。 深夜までのヘリコプターの音にいらつき困った。 親類などからメールを多数いただいた それには本当に感謝 3月15日~ 震度6強の報ではあったが、 同じ市内でも実は相当の差があるのではないかと思われる。 仕事場の富士山側の工場で天井が落ち設備も被害が出て かなりひどい状況と知る その日はなぜか計画停電にならない 当地が被災地域だったからか?、とは納得するが、 肝心な被災地域は停電していて通電の恩恵もなく困った状況だった模様 事務もヘルメット着用をしていて、それが役に立ったとか。 仕事場の救急部隊は親会社の復旧応援に東北にバスで行ってしまっていて 自社を直せる人材はいない。 県西以西の関係の方々より応援いただき復旧した。 次男の学校は閉鎖。 暇だったそうで近所を見ていたら、墓の壁面が倒壊 被害総額10万円 そんなものですんでよかった。 川に沿って被災のラインができている印象、被災にも特徴がある。 近所でも揺れ方が違い地震が簡単なものではないことがよくわかる。 震災の記事はネットで多数確認。 とにかく異常事態。原発も含め。 これからどうなっていくのか。 深く重く テレビで 阪神大震災の時には宗教報道で霞んでしまった、 今回も原発で霞むのでは困る、とか。 あほか。 不可分かつ、国の存亡危機ともいえる両問題を また、一種バラエティー的報道合戦に終始した某事件と 同列に論じるとは・・・ 間近の地域にいたが当時の報道は問題の本質に切り込もうとしていたか? この情勢下、信じられないような円高。 更に日本から仕事を移していくように命じられ続ける仕事。 愛社精神も持ちたい。愛国精神は持っている。ベクトルは一致しているか? この年が終わる。 この年のキーワードは やはり、震災であり原発としか思えない。 大地や見えない方々にお鎮まりいただくよう祈るのみ ***************************** <音楽とはそれなりには接した> <震災、節電の余波で子供の関係など多数見られなかった年だった> <記憶に残るものをピックアップ> 今年の曲 あいかわらず、1年に覚える曲は数曲 年を感じる。 その中で 岩手放送「空より高く」 は残った。 幼稚園児の元気すぎるくらいの歌声。 何度もリクエストされた話を読売新聞で読み、 自分も聞かせていただいた。 自分も楽譜を起こし、自分も歌えるように。 年末の某幼稚園の発表会では この曲を中心に組み立てる演目の補助までしてしまった。 5月8日 掛川チャリティーバスケット シャンソンのプロバスケット選手が起案して 掛川近辺の小中高生へのチャリティー教室をやるという話に アイリッシュ音楽チームのリーダーが乗り、自分たちも行かせて頂いた。 貧者の一灯には違いないが。 ついでにお歌。よせば良いのにとは身内の声? 肝心なリーダーが町内会の班長さんで町内清掃で遅れ。 少しトーク、地震の話や計画停電の話 特に相棒氏が屋根が落ちて、100万円、 でも、そんなものでよかった。 こうやって少しでも役に立とうとすることができる、、、 ただ、同じ県内でも雰囲気の差は感じた。 相変わらず何をやってもへたくそも良いところだが、 アメイジンググレイスのハーモニカが一番響いたかもしれない。 5月21日 大地の音 チェコフィルのコントラバス奏者が日本にいるということで 地元のプロ奏者3人を交えて4人のコンバス音楽会 低音が重なって、大きく震える。 魅力の音楽会。 日本の若手奏者達がとても魅力だった。 5月29日ー30日 朝霧ブルーグラスフェスティバル 楽しい音楽会。 水戸から旧知の方が多数来られていた。 その方々は例年はご当地フェスの主催者だが、 今年は何ともならずに 他地区のフェスに参加としてこちらに来られたということ。 心よりお見舞い申し上げるばかり。 「ここに来たら、ブルーシートの屋根がたくさんあるけど揺れたの?」 という質問を受けた。 さすが、目の付け所が違う・・・ 「水戸も被災地である、忘れないで欲しい」とは報道で声を聞いていたが、 実際に話を聞くと想像以上の様子に心痛い。 確かに、自分が3/15に経験した揺れ、 もしくはあれ以上の揺れが、 3/11に仕事場での時間揺れたとすれば、 そのこわさ、被害は想像もできない。 7月~ 夏季、節電のため休日体制の変更 普段なかなか見に行けない ジャスコのホールでの金曜夜の30分コンサートを多数楽しめた。 肝心の子供の関係や自分へのお誘いは全部参加できず。 クラシックに少し挑戦 11月20日 春野町アートフェスティバルにはるばる出かけた。 手工芸作品などの展示販売+音楽ステージ アイリッシュ音楽の春野町のデュオと自分達チームの参加可能者 だけで一日楽しんだ。 前日の嵐から一転して晴れたとはいえ、グランドには一部ぬかるみが残り、 強風の中で出品製品やテントに損傷があったりで 気象条件は最良とはいえなかったが楽しかった。 クラシックのバイオリニストとアイリッシュフィドラーの両立を されている方の音が印象に残った。 丁寧でかつご自身のフィドルとしての色合いを持っておられ、 いいデュオで、参考になった。 12月18日 ボレロ 川崎市 当ホームページ参照下さい 次年、良い年になりますよう。 春よこい。